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2005年9月24日(土) 晴れ むう父さん
07:40自宅発→07:55〜08:00会社→08:10広島駅→08:16〜23広島東照宮→08:25金光稲荷神社→08:35〜40奥の院→ピーク08:45→08:50〜55二葉山→09:05尾長天満宮→09:25〜30鶴羽根神社→09:33〜38饒津神社→09:53八剣神社→09:56〜10:00碇神社→10:10工兵橋→10:15牛田駅→10:23本通り駅→10:45会社→11:05自宅着
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※写真のアルファベットは、撮影した場所を示します。(地図参照) |
◎仏舎利塔の建つ広島駅前の山
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先週の三連休も今週の三連休も広島生活。しかも天気は良い。先週は暑くて暑くて、サウナ登山になったので反省。朝の涼しいうちに下山しよう。
思いついたのが、いつも広島に新幹線で帰って来る時に、駅前に仏舎利塔の有る山。
ひろしま百山にも掲載無し。道路地図を見ると「二葉山緑地」。
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麓のこれも気になっていた神社、広島東照宮から上がれそうだ。常の通り車で会社に行ってから歩き出す。
駅の構内を通過せず歩行者用のトンネルに入る。
あれっ、新幹線の真下に出た。ラッキー。
駅前は整地されてだだっ広い空間。
間もなく広島東照宮、1648年広島藩主浅野光晟が造ったが、原爆で本殿と拝殿を焼失し、石段上の唐門は焼け残った物。 |
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(写真A)広島東照宮 |
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また、石段を下りて、脇の道を登り返すのかと思ったら、横に出た。すぐに金光稲荷神社があった。
入口に日本最大規模シリビカガシの森とある。ドングリの木だが、ドングリのお尻がへこんでるらしい。
赤い鳥居の建つ石段を上がると稲荷。その先は赤い鳥居がトンネルになって、上に向かっている。
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(写真B)金光稲荷神社(登山口) |
木で見えにくいが、脇には大きなマンションが建つ。
またもや蜘蛛の巣を警戒したが、上からジョギングスタイルで下りて来る人がいたので、大丈夫。
先ずは石段を登り続ける。
あっ、またウチワを忘れた。
途中で道が二つに分かれる。 左に行くと奥の院だ。
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(写真C)奥の院の大岩からの眺め |
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道は急に登るようだが、真上に大岩が有る。
ここで眺めを見ながら休憩。
風も心地よい。
更に登ると水の無い池のような場所。
地図では牛田山と書かれるが、仏舎利塔はどこ?
右の方に行けば、さっきの右の道にぶつかるかな?
正解。甘く見たかな? 登山靴でなく、スニーカーで来たんだが…。
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(写真D)二葉山頂の仏舎利塔 |
でもすぐに仏舎利塔の有る二葉山。
犬を散歩してる人がいる。二葉山平和塔。
インドのネール首相から贈られた仏舎利が納められているんだそうな。
駅側は墓地になっており、金網で仕切られている。
眺めは奥の院の岩の上の方が良好。
二葉の里歴史の散歩道って標識。
戻ろうかと思ったが道路を下りると尾長天満宮が有る。
それではそちらに下りよう。
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(写真E)尾長天満宮 |
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残念ながら尾長天満宮は工事中。
菅原道真が太宰府に向かう途中ここで休憩したそうな。
当時の広島駅周辺は海だったんだ。
広島東照宮の前を通り、進むと今度は鶴羽根神社。
更に饒津神社。これで「ニギツ」と読む。
被爆した松が置かれている。
境内の脇には曼珠沙華の赤い花がきれいだ。
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(写真F)饒津の被爆松 |
福島正則が堤防決壊の折り、人柱ではなく8本の剣を埋めて決壊を防いだとのいわれの八剣神社や、昔の碇場だった碇神社を見物。
そろそろ暑くなりだした。
川沿いに進むと、吊り橋。これが工兵橋。
工兵第5連隊が演習所への連絡用として明治22年に架けた物の後継の橋。
しかし、うちの会社の連中、誰もこんな事教えてくれなかった。知らないのか?
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(写真F)境内に咲く曼珠沙華 |
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まだ歩くと「不動院」が有るようだが、そろそろ暑くなって来たし、目の前にはアストラムラインの牛田駅。
タイミング良くホームに上がったら電車が来た。
終点の本通り駅で下車、のんびり会社まで歩いて帰る。
二葉山だけだったら、つまらなかったが、色々と歩けて運動不足解消にもなった街歩きでした。
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(写真G)京橋川に架かる工兵橋 |

この地図は国土地理院長の承認を得て、同院発行の5万分の1地形図及び2万5千分の1地形図を複製した物です。(承認番号 令元情複 第189号) |