(写真:TOP)
2003年3月15日(土)〜16(日)  むうさん一家(父さん&母さん&嬢さん)
15日(土) 薄曇りのち晴れ(時々小雪)
07:20自宅発→08:27外環大泉→09:00宇都宮IC→09:25清滝IC→09:55〜15:30三本松(クロカン)→15:45湯元:奥日光高原ホテル
16日(日) 晴れ
06:00起床〜07:30〜08:30朝食〜09:30ホテル発→09:40〜11:30三本松(クロカン)〜11:45発→12:15清滝IC→12:30宇都宮IC→13:20浦和→13:35外環大泉→13:50自宅着
※写真のアルファベットは、撮影した場所を示します。(地図参照)
いやはや、6年振りのクロカンだ。
1990年、13年前に奥日光で始めたクロカンスキー。
翌年には、家族分の道具も用意し、六日町で遊び、更に六日町歩くスキーフェスティバルに参加し、奥日光と歩き回った。

92年の歩くスキーフェスティバルではなんと! 六日町雪祭り会場で、家族で選手宣誓までしてしまった。
(写真A)6年振りのクロカンスキー
何故か、今回のクロカンスキー。
むう嬢さんが承諾したのがきっかけ。

朝晩逆転状態のむう嬢さん、絶対起きられ
ないと思い、気をつかって父さんは金曜日飲んで帰ってくる。

なに!? いつもの事だって…。
言い訳はしないヨ。 
(写真B)光徳に向かうコースで
しかし、早起きをするむう嬢さんであった。

ま〜ぁ、遅くて9時…
早くて8時と思っていたむう父さん。
嬢さんの階段を下りる足音で目がさめる。
「酒!臭〜」コールを無視して準備。

一路奥日光に向かうのであった。
(写真C)戦場ヶ原で
路面凍結を心配したが、ノーマルタイヤで十分OK。いろは坂もスイスイ。

着いたのは、三本松駐車場。
ここで、使い古したクロカンスキーの道具を取り出す。

嬢さんの靴は一度小さくなったので買い直したが、他は12年前の物。
(写真D)湯滝で
午前中の雪は、まだ硬くて歩きにくく、しかも6年振りなので、ぎこちない。

光徳のアストリアホテルに着く頃には、少し慣れだしたようだ。

むう嬢さんが、小学生の頃に苦労したホテルを周回する1kmコースも楽々クリア。
(写真E)戦場ヶ原には車道をくぐる
やはり靴が少し小さかったか…、靴擦れができたようなので、昼に三本松に戻って昼食。

足にあったスキーを借りようかとも思ったが、そのまま続行。

午後は、戦場ヶ原に進んで、湯滝までのクロカンハイキングに向かう。
(写真F)三本松から男体山をバックに
ヘロヘロ状態で帰って、今宵の宿日光湯元の奥日光高原ホテルに向かう。1泊1人8500円。
硫黄温泉に入り、のんびり過ごす。

翌日快晴。そのまま帰ろうかと思ったが、あまりの天気に再挑戦。

三本松からアストリア、光徳牧場から光徳沼経由、再度戦場ヶ原で堪能した後、男体山を眺めながらの帰路。
(写真G)光徳沼を過ぎて…
前日と違って快晴の奥日光は、太陽の光がまぶしくて、雪のシャーベット状態。

クロカンの他に、スノーシューの貸し出しもある三本松は、結構な賑わい。

混雑を嫌って、素早く帰宅。帰り着いたらゴロゴロと転がる母さんと嬢さんでした。
(写真H)男体山を目指すコース
6年振りのクロカンスキーはやっぱり、きつかった。でも、また行きたい…とは、むう母さんと嬢さんの言葉です。

※奥日光高原ホテルの料理は、8500円という設定なので期待をしていなかったが…
 「オイルフォンドュ」と云う、卓上天ぷら。う〜ん! 結構楽しめたし、おいしかった。

※しかも、子供が多かったのか…、夜は「千と千尋の神隠し」をビデオで流してくれた。
 これもおもしろかった。

※残念だったのは、この季節敏感肌のむう嬢さん、硫黄泉にあたってしまったようでした。
 肌の手入れに大変だった。

この地図は国土地理院長の承認を得て、同院発行の5万分の1地形図及び2万5千分の1地形図を複製した物です。(承認番号 令元情複 第189号)