1997年 大菩薩嶺〜丸川峠
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12月13日(土)〜14日(日) タッ君、むう父さん
同宿:HM父&母&ジボ嬢さん、SJさん、WNさん、KSさん、UNさん姉妹+常連さん |
※写真のアルファベットは、撮影した場所を示します。(地図参照)
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12月13日 晴れ
05:50自宅発→06:30タッ君宅→09:35〜10:00裂石→11:50上日川峠→12:15〜25福ちゃん荘→13:15〜25大菩薩峠→14:10雷岩→14:20大菩薩嶺→15:35丸川峠 |
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◎小学4年の「タッ君」連れての大菩薩山行 |
一応受験生の父なのでむう嬢さんを誘えず、会社の知人の子供=タッ君に聞いたら「ランプの山小屋」に行ってみたい…との事で、即席親子の完成。
越谷のお宅に朝早くタッ君を引き取り、裂石を過ぎて丸川峠入口に駐車。
柳沢峠からの往復はもったいないと、裂石から大菩薩峠経由のコース。
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タッ君の荷物は全て着る物。
風邪をひかしては大変なのでむう母さんの羽毛服を押し込む。
途中で買ったペットボトル・ミカン・飴と隙間を見つけて押し込むのを、大きな目を開いて見入っていた。 |
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(写真A)まだまだ元気なタッ君 |
重い荷物にあえぎながら、上日川峠までの急坂を登る。振り返ると樹間越しに南アの白根三山が真っ白。
時々立ち止まっては息を整えている。
第1展望台から第2展望台とあえぎつつ過ぎるが、後はちょっとペースダウン。
疲れたタッ君を、道の横の霜柱で気を紛らわせながら、ダマシダマシ登る。
途中で大菩薩嶺が見えたので、「あそこを通って行くんだよ」、タッ君絶句!
上日川峠で食事中の大部隊と、駐車場一杯の車を横目に見て、車道ではなく山道を進む。 「どうしてここまで車で来なかったの?」、「みんな荷物軽そうだね…?」…引率者絶句! |
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福ちゃん荘でコンビニのお握りを分け合い、楽になった道を進んで風の強い大菩薩峠着。
ラーメンでも作ろうかと思ったが、風が強くて寒いので、小屋でゆっくり食べようと意思確認。
荷物を軽くしようとミカンを出すが、「甘くない」の一言。一房食べて後は「要らない」 |
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(写真B)大菩薩峠で |
最高の天気で、富士山を始め四方が見渡せる稜線を歩くが、風が冷たい。しかもカメラの電池が無くなって記念写真も撮れない。
雷岩の手前で、タッ君宅へ携帯で電話をする。「メチャクチャキツイ」…と、泣きを入れてました。「そこで登りは終わり」…登り着くと、「ごめん、あそこで終わり」やっと着いた雷岩で丸川荘に電話。「HMさん達、さっき着いたよ」の声。
よし、小屋まで下山…、いきなりの大菩薩嶺への登り。
頂上で連れションして、「もう本当に登りは無い。頑張れ」…と、激励。 |
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下りは二人しておなかがグルグル泣き、飢え死にしそう状態。
「小屋はどこ?」…「もうすぐ」「随分歩いてるよ」…「もうすぐ」「誰も歩いていないね」…「もうすぐ」「おなか空いてもう駄目」…「もうすぐ」
真下に小屋が見えた時には、引率者もさすがにホッとしました。 |
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(写真C)丸川荘の中で記念写真 |
小屋に着くとHMファミリーの出迎え。早速ラーメンを作ってすする。
ストーブには既に大鍋一杯に料理の準備が出来つつあり、メンバーも続々と到着する。後はいつもの大騒ぎ。HMさんの新曲発表もありました。
「丸川峠の青い月」だったかな? SJさんが「丸川峠の赤い顔」と、もじってましたが…。
かなり盛り上がったところで事件発生。SJさんがストーブに右手をついて大やけど。それでも1時前までストーブの周りや、寝床のコタツでワイワイ。 |
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12月14日 晴れ時々曇り
10:55丸川峠発→12:10六本木峠→12:45柳沢峠〜13:30裂石発→16:30タッ君宅→17:50自宅着 |
翌日、「夜中におじさんのイビキがうるさくて…」と、引率者と夜中に布団の取り合いをしたタッ君の弁。
SJさんの手には、大きな水ぶくれ。
お土産に木彫りをもらって、山の水を詰めて、HMファミリーと柳沢峠方面へ下山。
他のグループはSJさんと裂石へ直接下山。 |
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(写真C)丸川荘の外で記念写真 |
ジボ嬢さんが一緒なのでスムーズなのか? 今日のコースが楽でスムーズなのか? タッ君の歩きも、昨日と随分違う。「どうして、この道から来なかったの?」…と、云うところをみると、昨日はかなり辛かったようだ。
柳沢峠から裂石まで、HMファミリーの車に乗せてもらって、我が車に到着。
疲れて寝てしまったタッ君を横に乗せて、一路東京へ。越谷のタッ君の家が渋滞で遠かった。自宅に戻ったら引率者もグッタリでした。 |
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この地図は国土地理院長の承認を得て、同院発行の5万分の1地形図及び2万5千分の1地形図を複製した物です。(承認番号 令元情複 第189号) |