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1976年12月30日 (木) 
06:50新宿発→09:45茅野駅→10:30〜11:00美濃戸口→12:20 美濃戸→15:20赤岳鉱泉(テント設営)

1976年12月31日 (金) 

06:00起床〜10:30→12:00赤岩の頭→12:50 テント
1977年1月1日 (土) 
05:30起床〜08:00出発〜(雪訓)〜10:20行者小屋→11:10 阿弥陀コル→11:55〜12:10行者小屋→12:30テント

1977年1月2日 (日) 

05:30起床〜10:10出発→11:30赤岩の頭→11:55硫黄岳→12:10赤岩の頭→13:30テント

1977年1月3日 (月) 

06:30起床〜11:45出発→12:50〜14:10美濃戸→14:50美濃戸口→15:30茅野駅
※写真のアルファベットは、撮影した場所を示します。(地図参照)
早起きして新宿から乗るが、帰省客多く、
かろうじて着席。

大同心・小同心が、陽を受けて輝いていた
のが唯一の慰め。

2人では、荷物が重い。
(写真A)稜線への途中から赤岳方面
 31日は硫黄方面へ向かうが、稜線から上は
 ガスで何も見る事が出来ず、即下山。

 踏み固められた道は夏より歩きやすい。
(写真B)新雪のラッセル訓練
1日は朝から雪、訓練を少しして、
阿弥陀方面へ向かう。

コルまで上がるが、HSさんの足の
調子悪く下山。
(写真B)樹林帯から阿弥陀方面
 2日、曇っていたが、徐々に晴れて
 きたので出発。

 風が強く、硫黄岳を往復して下山。

 3日、テントを撤収して下山。

 美濃戸の小松山荘のストーブ脇で
 どぶろくを飲み、時間調節をする。
(写真C)赤岩の頭付近の稜線で  
(写真B)新雪の樹林と沸き上がる雲 (写真D)新雪の大同心

この地図は国土地理院長の承認を得て、同院発行の5万分の1地形図及び2万5千分の1地形図を複製した物です。(承認番号 令元情複 第189号)