(写真TOP)
1975年8月17日 (日)
17:15自宅発→18:20〜23:55新宿駅→
1975年8月18日 (月)
→05:40〜06:15茅野駅→07:10〜08:10ピラタス→08:20〜25山上駅→09:10縞枯山荘→10:05縞枯山→12:25〜13:55麦草峠→15:15高見石小屋
※写真のアルファベットは、撮影した場所を示します。(地図参照)
大学のクラブの先輩3人と山に行く。
夏合宿の宿が松本なので、その前に山に登ってから参加しようという考え。

記録を見ると、金がない学生時代は新宿発23:55分の各駅停車をよく利用していたなぁと思う。

しかも!
18時20分から並んでたら、確実に座れるよな。
(写:A)ピラタスロープウェイ山上駅で
茅野駅から、夜行列車接続の早朝バスに乗り、ピラタスロープウェイへ。
このときはしっかり、ロープウェイに乗っている。

三角屋根の縞枯山荘前を通り、縞枯山を目指すが、夜行列車の疲れが出てきつい登りだ。
縞枯山は、縞状に枯れた樹林帯がいわれ。
麦草峠からそのまま直上して高見石小屋に着く。

高見石小屋から一度白駒池に下りて、戻ってきた記録になっているが記憶曖昧。

記録に残してあるという事は、荷物を担いで往復したんだと思う。
(写真B)縞枯山荘
1975年8月19日 (火) 
06:20高見石小屋発→07:45〜08:10中山→10:10〜12:00東天狗岳→13:00〜10夏沢峠→14:35硫黄岳→15:05硫黄岳石室
一夜明けた翌朝。
小屋の横にある高見石に御来光を見に行く。

むう嬢さんをつれて行った時…って、これも結構前だったけど、美化のために、荷物を持って入れなかった気がする。

高見石から中山までは、辛い登り。
(写真C)高見石から白駒池を望む
東天狗岳で大休止。

多分写真を撮っていたのだと思うが、あまり良い写真は残っていない。

雲が湧きだしたのだろう。
(写真)雲海を眺める
夏沢峠から、硫黄岳も結構な時間がかかっているが、写真を撮っていた訳はなく、単にバテただけだろう。

バテバテで硫黄岳に着いて…

写真を撮るのを口実に、硫黄岳石室に宿泊したと思う。
(写真TOP)中山から遠く北アルプスを望む
1975年8月20日 (水) 
06:30硫黄岳石室発→07:15〜40横岳→09:45〜10:10赤岳山頂→12:50〜13:05行者小屋→14:50小松山荘
1975年8月21日 (木) 
09:00小松山荘発→美濃戸口09:30〜10:00→10:55茅野駅
硫黄岳からは展望のコース。

写真のように雲が沸き上がるが、徐々に晴れ上がり、横岳・赤岳石室と過ぎ、赤岳山頂へ。

写真を撮りながら歩いたんだろう。

阿弥陀岳方面に下り、確か?
阿弥陀岳に登った気がするが…?
(写真D)雲沸き上がる赤岳
行者小屋に下山して、美濃戸口を目指すが、合宿集合は明日の夕方。

途中の美濃戸の小松山荘で宿泊。

この小松山荘は、その後何度もお世話になる。
(写真E)雲が切れて赤岳が見えた

この地図は国土地理院長の承認を得て、同院発行の5万分の1地形図及び2万5千分の1地形図を複製した物です。(承認番号 令元情複 第189号)