(写真TOP)
1975年3月7日 (金) (晴れ時々曇り)
西牟田08:00→久留米08:10〜45→豊後中村 10:20→長者原登山口11:20→すがもり越12:45〜13:25→久住山 14:40〜15:05→法華院温泉17:10
※写真のアルファベットは、撮影した場所を示します。(地図参照)
大学の友人の実家に泊まり、九州の山を目指す。

西牟田の駅まで友達の兄に、送ってもらい乗り継ぎ&乗り継ぎで、昼前に登山口着。

三俣山の頂上付近は真っ白だ。
(写真A)三俣山に向かって歩く
石を積み上げた小屋も、雪に吹かれ真っ白。
九州で、こんな雪山に登るとは、思わなかった。

だだっ広い千里浜を進み、久住別れへ登る。

2人ほどのトレースしか無く、気持ちいい。
(写真B)すがもり越の避難小屋
雪と戯れながら、誰も居ない久住山頂に着く。

ここでスパッツを探すが現れず。

この辺りの草にエビのシッポが付いて風が吹くとカラカラと鳴いている。
(写真C)久住山頂で
法華院温泉への下りもトレースについて、沢筋に下りてしまった。

ポコポコと腰までもぐる始末。
スパッツを探し出せなかったので、靴の中は雪だらけ。

坊ガツルの避難小屋に行くが、ボロボロ。
なので、法華院温泉に泊まる
(写真D)草に付いた「エビのシッポ」
1975年3月8日 (土) (晴れ)
法華院温泉07:55→大船山09:40〜10:00→北大船 10:25→大戸越11:00→平治岳11:45〜12:35→法華院温泉13:55
温泉に荷物を置いて軽装で出発。
登るにつれて、徐々に眺めが良くなる。

樹林の道は雪が深いが、今日はスパッツを着用したので大丈夫。

天気最高、由布岳や阿蘇山がきれいに見える。
(写真E)朝の坊ガツル
法華院温泉の宿泊客は極端に少なかった。

硫黄泉、タオルを持って浴槽に行かなかったので、ランニングをタオル代わりに風呂に入ったら、何日も硫黄臭かった。

トイレは湯or水が流れる水洗であった気がする。
(写真F)三俣山を見下ろす
大船でノンビリ景色を満喫して、平治岳方面へ進む。

ここから先は歩いた跡もない。
適当に雪の中を歩いていく。

辺り一面ミヤマキリシマの大群生。
花の時期は最高だと、確かに思う。
(写真G)大船山頂、バックのぼけた山は由布岳
ウサギの足跡に先導され、平治岳へ登る。

帰り着いた法華院温泉は、雪を求めに来た九州のハイカーで一杯だった。
(写真H)三俣山&坊ガツル方面を見る
1975年3月9日 (日) (曇り後雨)
法華院温泉07:05→鉾立峠07:30→久住町役場前10:45〜12:35→豊後竹田13:05〜16:15→赤水17:20
阿蘇方面へ下山する。

途中、麓の草原では野焼きを行っいて、赤い火が舌のように目につき、色々な場所から煙が上がっている。

久住町役場前のバス停から、バスが来る
まで、長い時間待ち続けた。
(写真I)麓では野焼き中
竹田では「荒城の月」で有名な城跡を見物したが、あいにくの小雨。

今夜も大学の友人宅に行く為、赤水駅に向かう。
(写真)竹田城趾で

この地図は国土地理院長の承認を得て、同院発行の5万分の1地形図及び2万5千分の1地形図を複製した物です。(承認番号 令元情複 第189号)